1997年12月1日(月)
23歳

師走、昼。

暇があると掃除をする。
僕は汚いが部屋は汚くない。

ものがない。ピアノと小さな照明があるだけだ。
本は外に出さない。本棚は人となりが透けるから。
なんとなく買い集めた香辛料が並んでいる。
香辛料から僕を類推することは誰にもできない。

こだわりがあるね、と言われるのは恥ずかしい。
こだわりのないおおらかな自分にこだわるのはみっともない。

奥崎はものを拾ってくる。遊びにいくと板きれや流木やゴミにでていた看板や、奇っ怪なものがところせましと置いてある。

「なにこれ」と聞くと「ゴミ。」という答えが返ってくる。
僕にはさっぱりわからないが、それがこだわりなのかもしれない。

僕の目にもそれらはどうみてもゴミだ。
僕はゴミは嫌いだ。

掃除機をかける。日課である。
掃除機をかけおわった後の部屋はコーヒーが美味しい。
ブランデーをいれてみたりする。紅茶も嬉しい。

優雅な生活?
心は常に不安で満ちているのに。

1997年11月30日(日)
23歳

雨、憂鬱、日記。

未明。昨日について。

文化祭が終わった。
蟻が這い回っているような状態のキャンパスは憂鬱だが、行かないのも気になる。
最終日の夕方にもそもそとバイクで出かけたが既に終了していた。

後片付けを手伝ってみる。面識のない後輩ばかりで浮いている。ただ邪魔なだけの先輩になっている。来なければよかった。

先輩と久しぶりにゆっくり話したかったので、打ち上げにつきあう。
何十人もの大所帯で酒を飲むのはいつぶりか。
一気飲みを部屋のすみっこで眺めている。
気づいたら先輩はいなかった。

いつも暗い部屋に小さな灯りをつけて独りで飲む。ブランデーがいい。コニャックもいい。

人がいると余計な気を回して土偶のように動かない。宴会で解放的な気分になった試しがない。周りにも気を遣わせる。お互いいいことがあまりない。
 

二次会はボーリングらしい。じゃあね、と一人いきつけの画廊喫茶に向かった。雨が降って照明の消えた繁華街は沈黙している。その京都の暗い路地を歩く気分は悪くない。
ボーリングは嫌いじゃないんです、ボーリング場が嫌いなんです、とにこにこしながら道端の灰皿を蹴っ飛ばす。

帰宅。後輩から留守電。風邪ひいて死にそうだってさ。
横になったがどうにも気になるので車を出す。熱さまシートとヨーグルトを買う。
何をやっているんだ。僕は僕を守るだけで精一杯なのに。

後輩が思いの外死にそうだったので、薬を置いてさっさと帰るつもりだったが、あがりこんだ。
額に手をあてるとかなり熱い。よくねえなと思ったが、寝てれば治ると言うので座っていた。

しかしよくしゃべる。こんな時くらい黙って寝てられないのか女は。
平気かと聞くとしゃべっているうちに楽になったと。

僕は僕のくだらない話をしているうちにイヤになってきた。自分のことを話すと本当にイヤになる。またそれを察して病人が「死なないでね。」と言う。僕は卑屈なので「死んで欲しいってことか」と言った。

かき消えてしまったものを自分で取り戻す努力が僕にはできない。
「大丈夫」なんて確信は明日になればいつの間にか消えている。もっと刹那的であるべきだと思う。「明日なんてない」と格好をつけたい。
でもそれではダメなのだ。

ここ最近捨てたものが実は大きな存在だったことを今頃知る。そんな自分に酔いしれたのも昔話、今は壊れた何かを修復しようとする防衛機構さえ動作しない。

朝4時帰宅。

僕はまだうつむいている。そしてこれからも暗くうつむいたままだ。
死んでいないということが、生きているのと同じ意味だとは思えない。
憎しみや哀しみが癒えて消えていくのと同時に、大事なものも小さくなってどこかへ行ってしまった。

1997年11月26日(水)
23歳

晩秋の京都にさめざめと雨は降る。

ピアノを弾いていた。
雨が降る日に決まって弾く曲がある。

ウイリアム・ギロックの「Autumn Sketch」。
1分もない、簡単な小品。ピアノを習い始めた子供のために作られた曲。
哀しい、きれいなうた。

時にはAllegro、時にはLentoで目を閉じ弾きながら、
僕は繰り返しさめざめと雨の落ちてくる空を想うのだ。

そうして満足したら
コートと一緒に憂鬱を着込んで近くの公園に濡れにゆく。

口にくわえた煙草に
少しずつその憂鬱がしみこんでいくように。

僕が背負ったもの。
煙とともに空に溶けるもの。

1997年11月25日(火)
23歳

カーテンは開かない朝、金曜。

かつては私も 中原中也

かつては私も
何にも後悔したことはなかつた
まことにたのもしい自尊のある時
人の生命は無限であった

けれどもいまは何もかも失った
いと苦しいほど多量であった
まことの愛が
いまは自ら疑怪なくらゐくるめく夢で

-

愛するがために
悪辣であつた昔よいまはどうなつたか
忘れるつもりでお酒を飲みにゆき、帰って来てひざに手を置く。

雨。ブラームス。コーヒー。煙草。濡れたコートが重い。

久しぶりに河原町の画廊を巡る。
自分も学生だが学生のグループ展は大体面白くない。
面白い「人」には出会うが僕は面白い人を探してギャラリーを巡回しているわけではないし、仲間を見つけたいわけでもない。適当に群れて適当に楽しく描いた絵を適当に展示した空間は、僕を寒々しい気分にしかさせない。

そんなことを言っているとまた「自分たちは普通の学生だからほどほどに楽しめればいい。」と嗤われる。みんな嗤う。嗤われている間、僕は少しも嗤えない。そんなに何がおかしいんだ。頭おかしいんじゃないのか。

クソメガネくんの個展。
相変わらずクソメガネ。
でも絵を描くのが本当に好きな人の絵はすぐわかる。うまかろうがうまくなかろうが、見ててすぐわかる。音楽もそう。勉強なんてしなくても何となく感じるものがある。むしろ詳しくなると詳しくなることだけに快感を覚えて自分を信用しなくなる。

僕はクソメガネくんが好きである。
でも仮に先輩でなく枝くんが連れてきていたら僕は彼を好きになっただろうか。
僕は先輩がいるかもしれないからこの個展に来たんだろうか。
否定できない。
偉そうな自分に苛立つ。

1997年11月15日(土)
23歳

少し調子のいい、午後。

 映画「ハル」:内野聖陽・深津絵里

電子メールの交換ばかりしてた男女が実際に逢ってどうにかなる話。
パソコン歴4ヶ月の僕にはよくわからない。
文通だと思えば理解できる。が、文通の一番よいところは届くまで何日もかかるというところなので書いたそばから返事が来たら情緒もへったくれもない。

オガワくんが毎晩のように電話をかけてくる。
しばらく夜は電話線を外している。
予備校の時も様子がおかしかったが明らかにおかしい。
こちらまでパラノイアに引きずられてはたまらない。

オガワくんもそうだが、みなたかが数年前のことを思い出して懐かしそうに語る。
大学はつまらない、予備校はよかったと語る。
予備校が面白かったんじゃない、お前が面白かっただけだ、と皮肉を言う。
皮肉が通じない彼は「そうだよな!そうだよな!」と嬉しそうにする。
僕はなんとなく嫌な気分になる。