1998年1月5日(月)
23歳

薄曇り、鼠色、京都。

前ぶれもなく
因果もなく
唐突に恐ろしい憂鬱が這い寄ってくる。

誰でもある気分のむらさ、と
何でもないように振る舞って
その実
この世が終わるような重い淀んだ空気に
俺だけがなぜこんな気持ちに
と世界を恨んでいる。

明るい話をしよう。
君が登場しない話を。

1998年1月3日(土)
23歳

裏返しの憂鬱。

門松は冥土の旅の一里塚

めでたい門松だって確実に時が過ぎ
死に近づく目印だと考えればめでたくも何ともない。

と詠ったのは鴨野長明、ショーペンハウエルと並ぶ厭世人間の一休さん。
でもそんなことわざわざ人前で言わなくていい。
厭世と憂鬱は違う。

なんて新年早々どうでもいいことを書けば空が晴れる。
犬の濡れた瞳に映る空がとても憂鬱だ。

快晴のあたたかい陽の光のもと、大音量でブラームスのピアノコンチェルトを流す。
今年は体温の低い生活を送っていこう。

「憂鬱」「埋没」「裏返し」。
肯定的にこれらを味わうため、僕は常に雨模様でなければならない。

1997年12月31日(水)
23歳

大晦日。

僕の中でピアノがなっている間は大丈夫だ、という気持ちがある。
どんなに下手でも鍵盤に向える間は例え壊れても戻ってこれる。
そう思いたい。

うつむく青年 谷川俊太郎

うつむいて / うつむくことで
君は私に問いかける / 私が何に命を賭けているかを
よれよれのレインコートと / ポケットからはみ出したカレーパンと
まっすぐ矢のような魂と / それしか持ってない者の烈しさで
それしか持とうとしない者の気軽さで

うつむいて / うつむくことで
君は自分を主張する / 君が何に命を賭けているかを
そる必要もないまばらな不精ひげと / 子どものように細く汚れた首すじと
鉛よりも重い現在と
そんな形に自分で自分を追詰めて/ そんな夢に自分で自分を組織して

うつむけば / うつむくことで
君は私に否という
否という君の言葉は聞こえないが / 否という君の存在は私に見える

うつむいて / うつむくことで
君は生へと一歩踏み出す
初夏の陽はけやきの老樹に射していて / 初夏の陽は君の頬にも射していて
1997年12月28日(日)
23歳

長い憂鬱、雨が降る。

合理的な判断力はなく、
気分屋で甘えが強く、
ものごとの善し悪しをはかれない。

「他人が嫌いだ」「独りが好きだ」などと高らかに宣言し、
そのくせ都合よく寂しがり、
人の視線には敏感で、
いつもろくでもない、
やくたいのないことばかり考えている。

ホラホラこうして自分が傷つかない程度に責めてみたり、
口に出す必要のないことをぺらぺらと話してみたり。

格好いい、口あたりのよい科白ばかりを白痴のように並べ立て、
全て自分の気分次第で行動する僕は、
昔君の言った「お前はなるべく早く死ぬべきだ。」という呪いから今も逃れられない。

何かに悩んでいるわけでもなく、
死にそうな不安に直面しているわけでもなく、
いたって健康でのうのうと親の貯えを食いつぶし、

自分は何もせず、
格好いいことばかり言っては憂鬱になり、
憂鬱になっては寝る、およそ非生産的な役立たず。

それでも僕は柔らかく冷たく雨が降るたびに、
永久に生きたくなったり死にたくなったりしながら
自分の作った迷路で迷い続ける。

こんなばかばかしい文章を書き連ねながら、
意識を改革する気など毛頭なく、
でもツマラナイことをツマラナイと断定することもどうしても出来ない。

壊さねばならない。
選択的に、好き好んで、選り好みして、
壊さねばならない。僕自身を。

1997年12月25日(木)
23歳

独り、夜。 

心地よい空気をつくり出すにはきっと我慢が必要なのだ。

昼間明るい光のもとで読む話と、
ろくに字も見えない暗い部屋で読む話は、
同じ話でも全然違う話に感じる。

一人でもそうなのだ、
二人ではなおのこと我慢と手間と理解が必要なのだろう。

僕のようなものが気障を気取ってみるのは滑稽だ。
哀れですらある。
不自然極まりない。

でもそういう不自然な自分は嫌いではない。
少なくとも自然体という言葉に甘えて
怠惰を自然と言い張る人間にはなりたくない。