1998年1月28日(水)
23歳

黄昏。

砂のことを考えていた。

土より砂が好きだった。身近だったから。
畑を耕す記憶。干上がった水田で稲を刈る記憶。湿ったすえた匂い。熱い。

暖かいものが気持悪かった。肌のぬくもりは嫌いだった。
離れない子供。離れない自分をわかっていてわざと離れない。
「離れたくない」のではなく、「離れてはいけない」という思いをもった乾いた子供。
砂。

僕は砂だ。土に寄り添った人間を遠ざける。
太陽の熱を生きるため必死に明日へと懐へ繋ぎ止める、土。
まわりのものと相互に関係を維持しながら、肥大する。土。
べっとりと手に貼り付いた土を、僕は何度忌み嫌ったことだろう。

はかないと知っているものを、「はかない」と口に出しても冗談にしかならない。
何かを繋ぎ止めようとする努力は、何かを拒絶しようとする努力と等価でしかない。

風が吹けば、砂は消える。
消えるけれど、砂自体が消えてしまったわけではない。
ただまたいづれ空気や時間の流れが、
新しい一粒ひと粒を集めるそのときまで
まるで群れ寄り添って互いを破綻させることを恐れるように
いなくなる。

いない。
僕はどこにもいない。

1998年1月27日(火)
23歳

朝と夜。

朝。

傷によってしかひとはつながれない。
つながっているのではなく、
お互い空いたままの虚しさを必死に埋めようとする態度なのだとしても。
そんなことは問題ではない。
痛みをもった人間がふいに発する呟きに対し、
他人である自分は全くの無力であり、言葉は逃げていってしまうということ、
自覚、自覚。それが出来れば、救われる。

救うのは自分しかいないという自覚。諦めではなく。
距離を性急に縮めようとする焦りではなく、漠然とした距離のしなやかな間。
愛情、という言葉の嘘くささと憧れに似た、雨の日。
希釈された現実感と溶け出して肥大したじぶん。
何も言うことなんてなかった。
それでも僕は満足だった。

夜。

真面目な顔は怖かった。笑っていたかったのに。
冷たい?そうですね。フォローくらいならできますけれど。
大事なことは口に出せばどんどん水に溶けて薄まるよ。
それは笑いながらひとを蹴り倒すことと同じだ。

どうやって笑うのか忘れた。
「いつでも逃げ出せるような」という条件つきで前向きだ。
本当に後ろ向きではものを創る必要がない。
「君は生物的に弱いいきものだ」と君が怒るから
僕は笑うしかない。

汗をかいている。
言いたいことがわからない。何も言葉では言えない。
罪悪感だけがレンズで拡大され、詩に戻ってこれない。
ごめんなさい。

1998年1月24日(土)
23歳

望んだ分だけ。

押し入れの中に2年前の個展に寄せた雑文が転がっていた。

「石の卵」(1996)

君が(ヨルヲハコブ)という言葉を残して死んでしまったから、
生活に戻った僕は砂漠になる。
灰色の砂漠は段々大きくなって、僕の様々な部位を侵食する。
狂っていると感じながら 僕は砂漠が育つのを見ている。

<<ランボオだったっけ?海に太陽が溶けたのは・・・>>

記憶。かすかな何かの記憶。小骨のように無視できない生理。
ああ、ぐらぐらする。なんだろう。
これが海に溶けた太陽?でも永遠は見つからない。

夢。万能消しゴムに関する夢を見る。
それは昼夜を問わない。
白昼の高層ビル、真夜中の電柱。その記憶。記憶としての、記憶。
皆消える。万能消しゴムを使う。
ああ、ほんとうにいやだ。
僕は何者なのか、という質問のための忘れたふり。
忘れたふりをし、生きているふりをする度に砂漠が育つ。
S・カルマ氏もきっと同情してくれるだろう。
記憶。記憶。
僕は君が本当に大嫌いだった。

<<石の卵、淡々と。>>

座る。水は正確に一滴づつ僕の上に落ちてくる。
いつからこうなのか、もう思い出せない。
水は遠いところから落ちてくる。
僕の固い、冷ややかな表面にぶつかる度に無数の芥がつくられる。
それは(希望)だったか?
適度な熱をもって消えてゆくほか何もない。
どこか遠い所で見知らぬ人が抱いた(希望)という名の嘘は、
たった一粒の水滴になって死んでしまった。
けれどその(希望)たちのことを考えている時間はない。これまでも、これからも。

石の卵がある。僕もそこに在る。
僕を含む周囲の環境に構造的矛盾がない、
故に僕自身が断片的な不連続面の集合(モホロビチッチとは無関係の)となる。
いつはてるともなく(希望)という嘘は落下運動を続け、
僕はじっと石の卵であり続ける。

<<射殺された濃紺のロルカ。>>

[ぼくは井戸へおりていきたい/ゆっくりと味わいながら/ぼくはぼくの死を死にたい/ぼくの心を苔でみたしたい/水に傷つけられた子供をみるために]

地球儀の内部から心音が聞こえる。
(1996.3.18)
1998年1月22日(木)
23歳

寒い夜。

吉原幸子「同病」より。

ごくふつうに生きてゐる やうに見えて
ひとりひとりが ひそかな傷をもってゐる
といふことに あらためて驚く

Mのなかにも
Qのなかにも わたしがゐて
MやQと手をとり合って泣いてゐる
けれどわたしは わたしのなかに
そんなにも多くを 背負へるだらうか

わたしもまた 善意によって人を害(あや)めた
わたしもまた 六本目の指を持ってゐた

スモン病にかかれば
スモン病の人が来ていっしょに泣いてくれるのだらう
家が焼ければ
家の焼けた人が来てなぐさめてくれるのだらう
ひとつの傷に そっと触れると
同じ傷をもつ人が どこからか名乗り出て
長い手紙をくれる
わたしたちは 傷によってつながってゐる
しかも 傷によってしかつながれないのだ
1998年1月14日(水)
23歳

もう一度。

汚れてしまった?
汚れてしまった。

その恥ずかしい汚れを、それでも精一杯きれいに飾ろうと、
そんなことのために言葉を使って。非難されるのを待ちわびながら。

「せめて詰って欲しかったの。」
それは出来ない。

自分を責めるのも誉めるのも同じよ、と
厳しい目をしてあなたは言う。

僕は永久にその眼差しから逃げていくしかない。
強くなんてない。
難しいことなんて考えていない。

指定席は既に売り切れた。