1997年12月9日(火)
23歳

夜ふけ、雨も止む。

八木重吉「冬」

悲しく投げやりな気持でゐると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもつてゐる

冬は美しい。雪の白や葉のすっかり落ちた樹々からの連想だけではない。
閉じていく世界の、静かな弱さが美しい。

「弱さにたちむかおう」などと書いてある自己啓発の、だらしない醜さに反吐が出る。

「夢のような言葉だけでは人は生きていけない。それは単なる甘えだ。」と人は言う。
でも僕の中の「夢のような言葉」が壊れてしまったら、もうそれ以上生きていたいとも思えない。
むしろ壊れてしまった自分を取り繕うように何かによりかかって生活していくこと。
それは僕にとって深い羞恥でしかない。

友人は昨夜「死ぬということは何か意味があったり理由があったりするものではなく、ある瞬間ふっと誘われるようにあらわれる光のようなもの」だと語った。

僕は恵まれている。不満や意見など口にできない。
それは今、強力な劣等感として僕を痛めつける。

恥ずかしいのです。
恥ずかしくて恥ずかしくて、それは泥濘を転げ回って泥人形になりたい恥ずかしさです。

いつも虚勢を繰り返します。どうすることもできません。できない?いいや、したくないのです。
であるならせめて、全ての僕の美しいものに向って許しを乞うことだけが、たった一つの自慰である気がしてなりません。

僕は繊細な人間ではない。ただ恥ずかしいだけなのだ。あなたの期待には応えられない。
美しい冬の空気に溶けてしまった喜怒哀楽の冷たい雨が、自分の体内でくるくると巡回を続けている。

きりきりと身を切られる冬の朝に、僕は誰もいない公園で呆然とタバコを吸っている。
君はどこにいますか。
君はどこに行ってしまったのですか。