1998年1月10日(土)
23歳

秒針を眺めて。

海に行こう。
実家の近くのさびれた伊勢湾に。
京都からはたった2時間半。
逃げ出すのだ。
逃げたいのだ。

胸が痛む。
「こころなんて内臓さ 内臓が痛むように痛むのさ」
という詩を思い出す。誰の詩だったっけ。

「ひとりが好きなんでしょ?じゃあもう邪魔なんてしない。」
奥崎は言った。
僕は精一杯愛想よくふるまっていたつもりだった。
「寂しい」なんて言えばよかったのか。
言えるわけがない。

胸の痛みはきっとタバコのせい。
胸の奥にごわごわとした手触りがする。

1998年1月12日(月)
23歳

雨が寒い。

(吉原幸子「自戒」から)
わかものたちよ
わたしはつひに一度も死ななかった
たぶん 死ぬかはりに
殺すかはりに 書いたからだ

死にたい
と書くことで
死なないですむのなら
詩はクスリみたいな役に立つ
けれど その調子で
生きるかはりに書いてはいけない
愛するかはりに書いてはいけない
1998年1月14日(水)
23歳

もう一度。

汚れてしまった?
汚れてしまった。

その恥ずかしい汚れを、それでも精一杯きれいに飾ろうと、
そんなことのために言葉を使って。非難されるのを待ちわびながら。

「せめて詰って欲しかったの。」
それは出来ない。

自分を責めるのも誉めるのも同じよ、と
厳しい目をしてあなたは言う。

僕は永久にその眼差しから逃げていくしかない。
強くなんてない。
難しいことなんて考えていない。

指定席は既に売り切れた。

1998年1月22日(木)
23歳

寒い夜。

吉原幸子「同病」より。

ごくふつうに生きてゐる やうに見えて
ひとりひとりが ひそかな傷をもってゐる
といふことに あらためて驚く

Mのなかにも
Qのなかにも わたしがゐて
MやQと手をとり合って泣いてゐる
けれどわたしは わたしのなかに
そんなにも多くを 背負へるだらうか

わたしもまた 善意によって人を害(あや)めた
わたしもまた 六本目の指を持ってゐた

スモン病にかかれば
スモン病の人が来ていっしょに泣いてくれるのだらう
家が焼ければ
家の焼けた人が来てなぐさめてくれるのだらう
ひとつの傷に そっと触れると
同じ傷をもつ人が どこからか名乗り出て
長い手紙をくれる
わたしたちは 傷によってつながってゐる
しかも 傷によってしかつながれないのだ
1998年1月24日(土)
23歳

望んだ分だけ。

押し入れの中に2年前の個展に寄せた雑文が転がっていた。

「石の卵」(1996)

君が(ヨルヲハコブ)という言葉を残して死んでしまったから、
生活に戻った僕は砂漠になる。
灰色の砂漠は段々大きくなって、僕の様々な部位を侵食する。
狂っていると感じながら 僕は砂漠が育つのを見ている。

<<ランボオだったっけ?海に太陽が溶けたのは・・・>>

記憶。かすかな何かの記憶。小骨のように無視できない生理。
ああ、ぐらぐらする。なんだろう。
これが海に溶けた太陽?でも永遠は見つからない。

夢。万能消しゴムに関する夢を見る。
それは昼夜を問わない。
白昼の高層ビル、真夜中の電柱。その記憶。記憶としての、記憶。
皆消える。万能消しゴムを使う。
ああ、ほんとうにいやだ。
僕は何者なのか、という質問のための忘れたふり。
忘れたふりをし、生きているふりをする度に砂漠が育つ。
S・カルマ氏もきっと同情してくれるだろう。
記憶。記憶。
僕は君が本当に大嫌いだった。

<<石の卵、淡々と。>>

座る。水は正確に一滴づつ僕の上に落ちてくる。
いつからこうなのか、もう思い出せない。
水は遠いところから落ちてくる。
僕の固い、冷ややかな表面にぶつかる度に無数の芥がつくられる。
それは(希望)だったか?
適度な熱をもって消えてゆくほか何もない。
どこか遠い所で見知らぬ人が抱いた(希望)という名の嘘は、
たった一粒の水滴になって死んでしまった。
けれどその(希望)たちのことを考えている時間はない。これまでも、これからも。

石の卵がある。僕もそこに在る。
僕を含む周囲の環境に構造的矛盾がない、
故に僕自身が断片的な不連続面の集合(モホロビチッチとは無関係の)となる。
いつはてるともなく(希望)という嘘は落下運動を続け、
僕はじっと石の卵であり続ける。

<<射殺された濃紺のロルカ。>>

[ぼくは井戸へおりていきたい/ゆっくりと味わいながら/ぼくはぼくの死を死にたい/ぼくの心を苔でみたしたい/水に傷つけられた子供をみるために]

地球儀の内部から心音が聞こえる。
(1996.3.18)