1997年12月1日(月)
23歳

師走、昼。

暇があると掃除をする。
僕は汚いが部屋は汚くない。

ものがない。ピアノと小さな照明があるだけだ。
本は外に出さない。本棚は人となりが透けるから。
なんとなく買い集めた香辛料が並んでいる。
香辛料から僕を類推することは誰にもできない。

こだわりがあるね、と言われるのは恥ずかしい。
こだわりのないおおらかな自分にこだわるのはみっともない。

奥崎はものを拾ってくる。遊びにいくと板きれや流木やゴミにでていた看板や、奇っ怪なものがところせましと置いてある。

「なにこれ」と聞くと「ゴミ。」という答えが返ってくる。
僕にはさっぱりわからないが、それがこだわりなのかもしれない。

僕の目にもそれらはどうみてもゴミだ。
僕はゴミは嫌いだ。

掃除機をかける。日課である。
掃除機をかけおわった後の部屋はコーヒーが美味しい。
ブランデーをいれてみたりする。紅茶も嬉しい。

優雅な生活?
心は常に不安で満ちているのに。

1997年12月2日(火)
23歳

失敗天使、夕暮れ。

失敗天使(1996)

失敗天使と名前をつけた作品が部屋にかけてある。
去年の展覧会の前日、色鉛筆と筆ペンでちょこちょこっと描いたもの。

作品と呼んでいいものか迷うけれど、
たまに慰めをくれるこの何かに失敗してしまった天使は、
大事な僕のなにか(相変わらずよくわからない、なにか)
のような気がして、
ずっと壁にかけてある。

今年もそろそろ雪が降るだろう。

※筆者注
あれから30年近くが経過した今もなお、私の家には失敗天使がかけてあります。
大体人が褒める絵は自分は気にいらなくて、
こういう、人が一顧だにしなかった絵の方がお気に入りだったりします。
1997年12月4日(木)
23歳

雪、午前2時。

雪がふる音を「しんしん」と最初に表現したのは誰なのだろう。
その感覚の1000分の1でいいから僕にもわけてくださいと、
その誰かに泣いてすがりたい。

書くことがない方が安心できるのだ、日記は。

疲れている。
「疲れているんだ。」と言う大人が嫌いだった。
僕は疲れていると言いたくなかっただけのただの疲れた子供だった。
おかしいな、こんな筈じゃなかったのに。

夜に雪が降って外に出る。雪が積もると夜も明るい。
張り詰めた冷気にしんしんと雪が降る。
しんしんなんて音は聞こえないのに、そう言葉にすると音が鳴っている気がする。
そういう時、人間でよかったと思う。

未だに心を凍らせることはできない。
指先からしみこむ寒さが頭の中にまで浸透する時間を心の中で数える。
このまま心の中まで凍りついてしまえばいい。
なんておよそ感傷的な言葉も、白々しく呼吸されてゆく。

心身ともにもっと不健康でありたい。

1997年12月7日(日)
23歳

酔う、翌朝。

愛すべき人といると普段僕を縛りつけている枷はたやすく緩む。
酒がそうさせるのではない。人がそうさせる。

四条河原町のバー。2人で店のコロナビールがなくなるまで飲む。
果てしなく飲む。ライムがなくなっても飲む。

電車がなくなったので夜中の烏丸通を四条から今出川に向けて歩いた。
電柱にぶつかりながら歩いた。
大声をあげて歩いた。
ろくでなしだ、と喚きながら歩いた。

アトリエで酔いを覚ましバイクで帰る。
体温が低い。頬に手をあてると別人のような冷たさで薄気味悪かった。

でも僕は覚えている。
あの人の顔も何を話したかもあたたかい手も覚えている。
本当に酔っていたのか、酔っていたことにしたいのか、
多分両方正解なのだと思う。

こうして書くことで許されはしまいか、と思ってみる。
許されることはないと思う。

1997年12月9日(火)
23歳

夜ふけ、雨も止む。

八木重吉「冬」

悲しく投げやりな気持でゐると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもつてゐる

冬は美しい。雪の白や葉のすっかり落ちた樹々からの連想だけではない。
閉じていく世界の、静かな弱さが美しい。

「弱さにたちむかおう」などと書いてある自己啓発の、だらしない醜さに反吐が出る。

「夢のような言葉だけでは人は生きていけない。それは単なる甘えだ。」と人は言う。
でも僕の中の「夢のような言葉」が壊れてしまったら、もうそれ以上生きていたいとも思えない。
むしろ壊れてしまった自分を取り繕うように何かによりかかって生活していくこと。
それは僕にとって深い羞恥でしかない。

友人は昨夜「死ぬということは何か意味があったり理由があったりするものではなく、ある瞬間ふっと誘われるようにあらわれる光のようなもの」だと語った。

僕は恵まれている。不満や意見など口にできない。
それは今、強力な劣等感として僕を痛めつける。

恥ずかしいのです。
恥ずかしくて恥ずかしくて、それは泥濘を転げ回って泥人形になりたい恥ずかしさです。

いつも虚勢を繰り返します。どうすることもできません。できない?いいや、したくないのです。
であるならせめて、全ての僕の美しいものに向って許しを乞うことだけが、たった一つの自慰である気がしてなりません。

僕は繊細な人間ではない。ただ恥ずかしいだけなのだ。あなたの期待には応えられない。
美しい冬の空気に溶けてしまった喜怒哀楽の冷たい雨が、自分の体内でくるくると巡回を続けている。

きりきりと身を切られる冬の朝に、僕は誰もいない公園で呆然とタバコを吸っている。
君はどこにいますか。
君はどこに行ってしまったのですか。