1997年11月26日(水)
23歳

晩秋の京都にさめざめと雨は降る。

ピアノを弾いていた。
雨が降る日に決まって弾く曲がある。

ウイリアム・ギロックの「Autumn Sketch」。
1分もない、簡単な小品。ピアノを習い始めた子供のために作られた曲。
哀しい、きれいなうた。

時にはAllegro、時にはLentoで目を閉じ弾きながら、
僕は繰り返しさめざめと雨の落ちてくる空を想うのだ。

そうして満足したら
コートと一緒に憂鬱を着込んで近くの公園に濡れにゆく。

口にくわえた煙草に
少しずつその憂鬱がしみこんでいくように。

僕が背負ったもの。
煙とともに空に溶けるもの。

1997年11月30日(日)
23歳

雨、憂鬱、日記。

未明。昨日について。

文化祭が終わった。
蟻が這い回っているような状態のキャンパスは憂鬱だが、行かないのも気になる。
最終日の夕方にもそもそとバイクで出かけたが既に終了していた。

後片付けを手伝ってみる。面識のない後輩ばかりで浮いている。ただ邪魔なだけの先輩になっている。来なければよかった。

先輩と久しぶりにゆっくり話したかったので、打ち上げにつきあう。
何十人もの大所帯で酒を飲むのはいつぶりか。
一気飲みを部屋のすみっこで眺めている。
気づいたら先輩はいなかった。

いつも暗い部屋に小さな灯りをつけて独りで飲む。ブランデーがいい。コニャックもいい。

人がいると余計な気を回して土偶のように動かない。宴会で解放的な気分になった試しがない。周りにも気を遣わせる。お互いいいことがあまりない。
 

二次会はボーリングらしい。じゃあね、と一人いきつけの画廊喫茶に向かった。雨が降って照明の消えた繁華街は沈黙している。その京都の暗い路地を歩く気分は悪くない。
ボーリングは嫌いじゃないんです、ボーリング場が嫌いなんです、とにこにこしながら道端の灰皿を蹴っ飛ばす。

帰宅。後輩から留守電。風邪ひいて死にそうだってさ。
横になったがどうにも気になるので車を出す。熱さまシートとヨーグルトを買う。
何をやっているんだ。僕は僕を守るだけで精一杯なのに。

後輩が思いの外死にそうだったので、薬を置いてさっさと帰るつもりだったが、あがりこんだ。
額に手をあてるとかなり熱い。よくねえなと思ったが、寝てれば治ると言うので座っていた。

しかしよくしゃべる。こんな時くらい黙って寝てられないのか女は。
平気かと聞くとしゃべっているうちに楽になったと。

僕は僕のくだらない話をしているうちにイヤになってきた。自分のことを話すと本当にイヤになる。またそれを察して病人が「死なないでね。」と言う。僕は卑屈なので「死んで欲しいってことか」と言った。

かき消えてしまったものを自分で取り戻す努力が僕にはできない。
「大丈夫」なんて確信は明日になればいつの間にか消えている。もっと刹那的であるべきだと思う。「明日なんてない」と格好をつけたい。
でもそれではダメなのだ。

ここ最近捨てたものが実は大きな存在だったことを今頃知る。そんな自分に酔いしれたのも昔話、今は壊れた何かを修復しようとする防衛機構さえ動作しない。

朝4時帰宅。

僕はまだうつむいている。そしてこれからも暗くうつむいたままだ。
死んでいないということが、生きているのと同じ意味だとは思えない。
憎しみや哀しみが癒えて消えていくのと同時に、大事なものも小さくなってどこかへ行ってしまった。